2024年12月24日火曜日

2学期終了~伝えあう「ありがとう」の木

 

2学期の終業式を無事に迎えることができました。
毎日、子供たちを送り出してくださった保護者の皆様、通学途中に見守ってくださった地域の方々に心から感謝の言葉を伝えたく、この記事を書いております。
校長室前の掲示板に設けられた「ありがとう」の木には、たくさんの感謝の言葉が寄せられました。

「いつもあそんでくれてありがとう」

 「やさしくしてくれて ありがとう」
 「勉強を教えてくれてありがとう」
 「いっしょに登校してくれて ありがとう」
 「ありがとうっていってくれて ありがとう」
 「学校さん、まなべる所がいっぱいあって ありがとう」
 「きゅうしょく つくってくれて ありがとう」
 「仲良くしてくれて ありがとう」
 「いつも 色々な話をしてくれて ありがとう!」
 「ぼうはんのおじさん いつも まもってくれて ありがとう」
 「ようちえんのせんせい いままでいろんなことをおしえてくれて ありがとう」


読んでいると、あったかい気持ちが伝わってきます。自分のことでなくても、なんだか嬉しい気持ちになります。児童会書記局の人がよびかけてくれたおかげです。子どもたちが素敵な活動をしてくれたことをとても嬉しく思います。

それぞれがもつ思い、夢、願い、目標、日々感じていることを問いかけてみました。

2学期の始まりに、「自分の金メダル」をみつけようとお話しました。
自分が努力したこと、嬉しかったこと、成長したこと、たくさんある中で、ナンバー1は何だろう。頭に思い浮かべてみましょう。


代表の子供たちのスピーチでは、自分自身の成長や今後の願いが発表されました。

「学芸会にむけてみんなで練習をがんばってよかった」
「クラスでレクをがんばった」
「もうやめたいと思ったけど、最後は自己ベストをだせて、あきらめずにやってよかった」
「中学校にいったら部活をがんばりたい」


スピーチのたびに拍手が起こります。それぞれが頑張りを讃え合う姿はいつも素敵です。

毎日、みんなはチャレンジしていますね。学校に来ること、玄関前の階段を走って登る、給食で苦手なものを食べること、友だちの良いところをみつけること、ごめんねと仲直りすること、どれもが挑戦です。それができたことは、自分の力だけではないはずです。支えてくれた家族、周りの人のおかげという気持ちを大切にしてほしいです。それを言葉にして伝えてほしいです。


例えば、ご飯をつくってくれてありがとう、遊んでくれてありがとう、送ってくれてありがとう、話を聞いてくれてありがとう。小さなことでいいです。普段はなかなか言えない感謝の気持ちを言葉で伝えてください。きっと喜んでもらえます。お手紙でもいい。勇気を出して、その言葉を伝えることが、自分の力になります。


「冬休み中だからこそできることをみつけて、日々挑戦を続けてほしい」と願い、
”4つの心得”をプレゼントしました。

そのためには、まず健康でいること。


1 朝は太陽の「光」にあたる
2 「外遊び」をする
3 夜は「暗闇」の中で静かに過ごす
4 心配事はだれかに「話す」


3学期、元気な挨拶とニッコリ笑顔で会えることを心待ちにしております。

皆様、よいお年をお迎えください。




2024年12月23日月曜日

【コラム】峠の向こうに見える景色

 3年生の国語で「三年とうげ」という教材があります。「民話を紹介しよう」という学習活動につなぐ入口として、「この物語のおもしろさを見つけながら読む」授業展開が繰り広げていました。


<あら筋>登場人物には”おじいさん”、知恵を授けた水車屋の”トルトリ”が描かれます。

おじいさんは、

「三年とうげで転ぶと三年しか生きられない」

という言い伝えのある坂で転んでしまい、それを気にして病気になってしまいます。

見舞いにきたトルトリが、

「一度転べは三年生きる、2度転べは6年…、何度も転べは、長生きできるはず」

と勇気づけ、おじいさんは、「うん、なるほど」と、とらえかたを変え、ふとんから跳ね起き、三年とうげでわざと転びまくって、幸せに長生きしたという話です。


子供たちは、ノートに面白いと思ったことを書きだして、互いに意見を交流していました。

多くの子は、「三年しか生きられない→三年は生きる」と考え方が変わったことを話題にしていました。


【コラム】峠の向こうに見える景色

大人目線でみた面白さと言えば、

”おじいさん”という言葉は何度も出てくるのに、”トルトリ”は1度しか出てきません。

「一期一会」といいましょうか、

~「たった一度の出会い」から人生が変わるときがある~

と、教訓めいた解釈をしてしまいます。(子どもは首をかしげるかもしれません…)


また、「三年とうげ」の作者は李錦玉となっていますが、この民話の原点はどこか?という点に興味が湧き、調べてみました。

どうやら、この民話のネタは、京都の清水寺に登る「三年坂」にまつわる逸話と関係性があるようです。

清水寺の付近には坂を上る途中にお墓がありますが、”あの世との境となる場所”として観光名所案内で紹介されています。

逸話のメッセージは「坂の登り下りは気を付けて」という意味合いにも受け取れます。


読み物教材を扱うねらいは「読解」ではなく、多くの本に触れ、本の紹介をする活動などを通して、物の見方を広げるところにあると考えます。

様々な民話をもとに対話していく中で、社会的背景や様々な国の風習などの違いなど、広いものの見方につながっていくようにも感じました。


大人は経験から判断することが多く、凝り固まった物の見方をしがちですが、

峠を登った先に広がる景色にハッとするように、

”トルトリ”のように機転を利かせた声かけや考え方をするヒントが、絵本の中にあるように思います。

子どもとともに「面白い」絵本を探してみてはいかがでしょうか。


2024年12月11日水曜日

人がその気になるとき~「役に立つ」感

 

11月、3年生が「人権の花 感謝の会」で人権委員の方々と一緒に交流をしていました。

この会の目的は、お世話になった方へ感謝の言葉を伝えるという趣旨で行われました。

体育館には、子どもたちの笑顔と嬉しさの空気が満ちていました。

「猛獣狩り」というゲームでは、指定された人数でグループを作るのですが、子どもがリーダーとなって進行する様子がみられました。

いつもながら、自分の言葉で「つたえる」、仲間と「つながる」姿が素敵でした。

その様子を見ていると、

こうした活動は当たり前ではなく、「有難い」ことなのだということを理解していたように思うのです。

その背景について、これまでの取組を振り返ってみます。

6月に人権委員の皆さんと共に植え付けした「人権の花」は、校舎に登る階段横に一列に並べられ、登校・来校された人の心に癒しを与えてくれました。

暑い日が続き花がダメージを受けて萎れてくると、子どもたちは水やりをしてお世話する様子が見られました。

それでも、枯れてしまう花苗もあり、

登校時に、

「(ぼくが)植えた花がだめになっちゃったね。」

と呟く子がいました。

その言葉から、

”何のために花を植えたのか”、

”花を育てることにどんな意味があるのか”、

”自分の役割は何か”

など、自分なりに考えて行動を起こしていることが伝わってきました。


【コラム】<人がやる気になる言葉かけ~内発的動機づけが起きる関わり>

なぜ、子どもたちは花の世話をするようになったのか、問い直しをしてみます。


まず、花の贈呈式で地域の方々との出会い、

花を育てる意味が「わかる気」になる場面がありました。


次に、一緒に花の植え付けをする中で、

自分たちが花を育てることが「できる気」になる活動がありました。


そして、日常の学校生活の中で、認め合う声かけなど、

花を育てようという「やる気」がわいてくる関わりがありました。


こうした一連の過程で、

「枯れたら花がかわいそう」「わたしがやらなきゃ」など、

”自分で自分の背中を押す”言葉かけが起きて、

草取りや水やりといった具体的な行動を起こすようになったのだと思います。


人が「その気」になるには、

【 わかる気 ⇒ できる気 ⇒ やる気 】

という感覚がわき起こります。


やらされ感ではなく、

「自分は役に立っている」という自己有用感や、

「自分はできる」という自尊感情を抱くと、

「やるぞ!やりたい!」という意識、

つまり、内発的動機づけ(=モチベーション)が起きてくるのです。


冬休みが近づいてきて、子どもたちはワクワクしてる様子が伝わってきます。

そして、長期休業中に家庭学習の習慣化についても話題になります。


ちなみに、脳科学の観点からいえば、「宿題やりなさい」「勉強しなさい」という言葉かけは、やらされ感を抱くことにつながるので、効果的とは言えません。


時折、子どもから「宿題も家庭学習も忘れたー」とネガティブな呟きが聞こえることもありますが、「自分でやろう!」という意識から発せられた言葉なら、肯定的に受け止めてあげてよいのではないかと考えます。

「宿題も家庭学習も忘れたー」

「そうか、そういう日もあるね。次はどうするの?(どうしたらいい?)」

という肯定的な言葉かけをすると、子どもは自ら考え、自分から動き出します。


はじめのうちは行動の仕方がわからない場合もあるので、

「わからない。どうしたらいい?」

と聞かれたら、

「だったら、こうしたらいいんじゃない?」

と具体的に示唆する関わりも必要です。


p.s.

ヨシタケシンスケさんの絵本には、こういうヒントがたくさんつまっています。


次回のコラムでは、3年生が学習している国語の教材『三年とうげ』をテーマにお伝えします。

2024年12月2日月曜日

大人も学ぶ機会を~「地域で考える子どもとの対話」(健連協地域交流会)~


 11月26日、「地域で考える子どもとの対話~スクールショーシャルワーカーの立場から」と題して、地域交流会を行いました。主催は緑陽中学校区青少年健全育成連絡協議会で講師は北広島教育委員会のSSW(スクールショーシャルワーカー)をされている方にお願いしました。講師の方は、病院やクリニックなどで「子育て当事者研究」プログラムをされてきた経験をもとに、子どもとの対話のあり方などについてワークショップを交えながら話題提供をしていただきました。

ワークショップでは、

1 自分が子どもの立場ならどんな人に相談したいですか?

2 子どもまたは他者とコミュニケーションを取るときに心がけていることはありますか?

という質問にそって、少人数グループで対話をしました。

その中で出た話題を、全体で共有するという流れで進みました。

自分の子供時代を思い出すなど、和やかな雰囲気のなかで様々な意見が出されました。


今、子どもたちの授業においても「対話的な学び」が日常的に行われています。保護者は参観日の機会にご覧になることも多いかと思います。

「正解を求めること」を目的とするのではなく、

「考え、議論する」ことを大切にする学び方です。

こうした学びの中で培われる力(資質・能力)とは、

「自分の意見をもつ」、「相手の考えを聴く」、「様々な意見があることを知る」ことなどです。

こうした過程を経る中で、

「新たな見方や考え方ができるようになる」

ことが、最終到達地点(ゴール)になるという学びのイメージです。


つまり、この交流会で大人が学ぶ姿は、子どもが学んでいる姿と同じだと感じました。

ということは、

大人と子供が、いわば、”同じ土俵の中で相撲をとる”こと、

(子どもがある程度言葉を理解できる内容であれば)

「相互に対話する」ということが可能だということです。


先日、CS(学校運営協議会)の第2回目の会議が行われ、CS委員が参観された5年生の防災教室について話題になりました。

例えば、

・段ボールベットを組み立てる実習を子どもと大人が一緒にやってはどうか

・実際の避難所では中学生がリーダーとなって主体的に運営している

・HUG(避難所運営ゲーム)を子供と大人が一緒にやると実際の場面の想定に近くなる

など、多様な意見が出されていました。


こうした機会を通して交流すると、

「大人になって学ぶことって少ないですよね」

という感想を聞くことがよくあります。



今年は開校12年目となりますが、

緑陽小学校、高台小学校の時代から続く「人々の心が通い合うコミュニティ」の文化など、

すでにあるもの=「地域の良さ」を受け継いでいくことと同時に、

時代の変化と共に、

新たな文化を再創造していくことがもとめられているように感じております。


これまで、学校の教育活動は、大人の意向が優先されて営まれる傾向が強かったように思いますが、

これからは、子どもたちの主体的な考えを反映させていくことが一層大切になっていきます。


コミュニティスクールなど様々な機会に地域の皆さんと対話をしながら、

授業のあり方や教育内容の充実にむけて、アイデアを形にしていけたらと願っております。


引き続き、未来を担う子どもたちの応援団として、お力添えいただきますよう、よろしくお願いいたします。