11月、3年生が「人権の花 感謝の会」で人権委員の方々と一緒に交流をしていました。
この会の目的は、お世話になった方へ感謝の言葉を伝えるという趣旨で行われました。
体育館には、子どもたちの笑顔と嬉しさの空気が満ちていました。
「猛獣狩り」というゲームでは、指定された人数でグループを作るのですが、子どもがリーダーとなって進行する様子がみられました。
いつもながら、自分の言葉で「つたえる」、仲間と「つながる」姿が素敵でした。
その様子を見ていると、
こうした活動は当たり前ではなく、「有難い」ことなのだということを理解していたように思うのです。
その背景について、これまでの取組を振り返ってみます。
6月に人権委員の皆さんと共に植え付けした「人権の花」は、校舎に登る階段横に一列に並べられ、登校・来校された人の心に癒しを与えてくれました。
暑い日が続き花がダメージを受けて萎れてくると、子どもたちは水やりをしてお世話する様子が見られました。
それでも、枯れてしまう花苗もあり、
登校時に、
「(ぼくが)植えた花がだめになっちゃったね。」
と呟く子がいました。
その言葉から、
”何のために花を植えたのか”、
”花を育てることにどんな意味があるのか”、
”自分の役割は何か”
など、自分なりに考えて行動を起こしていることが伝わってきました。
【コラム】<人がやる気になる言葉かけ~内発的動機づけが起きる関わり>
なぜ、子どもたちは花の世話をするようになったのか、問い直しをしてみます。
まず、花の贈呈式で地域の方々との出会い、
花を育てる意味が「わかる気」になる場面がありました。
次に、一緒に花の植え付けをする中で、
自分たちが花を育てることが「できる気」になる活動がありました。
そして、日常の学校生活の中で、認め合う声かけなど、
花を育てようという「やる気」がわいてくる関わりがありました。
こうした一連の過程で、
「枯れたら花がかわいそう」「わたしがやらなきゃ」など、
”自分で自分の背中を押す”言葉かけが起きて、
草取りや水やりといった具体的な行動を起こすようになったのだと思います。
人が「その気」になるには、
【 わかる気 ⇒ できる気 ⇒ やる気 】
という感覚がわき起こります。
やらされ感ではなく、
「自分は役に立っている」という自己有用感や、
「自分はできる」という自尊感情を抱くと、
「やるぞ!やりたい!」という意識、
つまり、内発的動機づけ(=モチベーション)が起きてくるのです。
冬休みが近づいてきて、子どもたちはワクワクしてる様子が伝わってきます。
そして、長期休業中に家庭学習の習慣化についても話題になります。
ちなみに、脳科学の観点からいえば、「宿題やりなさい」「勉強しなさい」という言葉かけは、やらされ感を抱くことにつながるので、効果的とは言えません。
時折、子どもから「宿題も家庭学習も忘れたー」とネガティブな呟きが聞こえることもありますが、「自分でやろう!」という意識から発せられた言葉なら、肯定的に受け止めてあげてよいのではないかと考えます。
「そうか、そういう日もあるね。次はどうするの?(どうしたらいい?)」
という肯定的な言葉かけをすると、子どもは自ら考え、自分から動き出します。
はじめのうちは行動の仕方がわからない場合もあるので、
「わからない。どうしたらいい?」
と聞かれたら、
「だったら、こうしたらいいんじゃない?」
と具体的に示唆する関わりも必要です。
p.s.
ヨシタケシンスケさんの絵本には、こういうヒントがたくさんつまっています。
次回のコラムでは、3年生が学習している国語の教材『三年とうげ』をテーマにお伝えします。
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