午前中は、石狩教育局の方々が学校訪問されました。
午後、1~3年生の参観日でした。
子どもにとっては「授業参観」される一日でした。
教室に行くと、
「こんにちは!」
と元気に挨拶をしてくる子とか、
「校長先生が3人もいる!なんで?」
と聞いてくる子とか、
ノート整理に集中している子や
友だちと考えの交流を楽しんでいる子など、
様々な表情をみせてくれました。
アドバイスをいただいた中で、
・先生方がどう自分事として課題解決にむかうか?
・一緒にやっていく体制をどうつくるか?
という経営面の関わりについてお話がありました。
簡単に言えば、校長一人であれこれ言ったってうまくいかないよ、というメッセージです。
校長に求められる資質・能力の一つ、マネジメントの部分ですが、
これは人によって得意・不得意があるところです。
伝えるのが得意な人もいれば、
自分の背中を見せるのが得意という人もいれば、
よく話を聞いてサポートするのが得意という人など、多種多様です。
これらについて、私はどれも得意ではありません。
比較的、得意なことは、省察すること、空想すること、
いろんな対応策を図式化して考えることです。
シュミレーションすることが好き、いってみれば、「趣味レーション」です。
グラフィックデザイナー、設計デザイナーなどは、この力に長けているでしょう。
これと同じことが、子どもの授業でも言えます。
授業の中で、つぶやきや表情など、子供が発しているサインをキャッチする力、
先生に求められる資質・能力の一つ、見とる力(観察眼)です。
「名人芸」と呼ばれるような長けている先生もいますし、発展途上の先生もいます。
自分ができる、できないは別として、
みんな上手くなりたい、子どもの力を伸ばしたいと思って授業をしています。
経験値が違っても、そこは変わらない部分です。
例えば、今日の授業では、
「よくわかんない...」
という子供のつぶやきがありました。
しかしながら、動き出さない、書こうとしない、一見、何もしてないように見えても、
内面では思考している、考えを整理している状態であることがよくあります。
そこを察知して、先生は、
「どこまで考えたのかな?」と声をかけるとか、
赤鉛筆で薄く記し、小声で「なぞってね」と作業を促すとか、
「話したい人は手をあげて」と相談相手になるとか、
ノートに記した子ども考えをどの順番で取り上げるか作戦を練る(脳内シュミレーション)など、
関わり方は多種多様です。
初めての参観日の後、先生が変わったときの子供の態度の変化をみて、
(あの進め方で大丈夫なのでしょうか)
などと心配の声をいただくことがあります。
それは、子どもにとっても同じであって、
環境の変化の中で、どうふるまったらよいのか考えながら、心配と安心を連続的に経験しているのです。
(先生は次、何を言うのかな。どう答えたらいいかな。自分は何ができるかな。)
などと考えながら、
ですから、どの子にとっても「挑戦」の連続だということを私たちは常に考えて仕事をしています。
(今日はうまくいかなかったな、あの子ができるにはどうしたらいいかな、次は、どうやって伝えたらいいかな)
とか思案しながら、明日の授業にむけて教材研究をします。
その中でシュミレーションして、いくつかの中で最善の手を一つ選び、子どもとの授業に臨むのです。
「授業は格闘技」という言葉があります。
言ってみれば、一日、5~6時間のラウンド、生身の勝負の連続です。
子どもが何かをできるようになる、
熱中して取り組む、
価値をみつける、
時には、感動が生まれる。
そして、将来、生きていく上で必要な資質・能力を身につけ「卒業」していくという、
マラソンのように長いレースを、制限時間の中で子どもに伴走しています。
マラソン大会では、選手が完走するためのコース設定やエイドステーションなどの条件整備が必須です。
それは、学校ではカリキュラム(教育課程)、学びの環境を整えることです。
働き方改革という言葉が学校現場でも言われるようになり、
授業のやり方や仕事のやり方は、大きく変化してきています。
ムリ、ムダを省くことはある程度は必要です。
とはいえ、変わらないものもあります。
例えば、校外行事などで、
キャンプファイヤーで火を囲んで歌う、フォークダンスをする、演劇をする、みんなで踊るなどの特別な経験は、大人になってからは、そう体験することは少ないでしょう。
本日は、6年生がエスコンフィールドでファイターズの試合を観戦にいきました。
これも特別な体験です。
そこで生まれるものは、
自分は何が好きなのか、どんなことをしたいのか、
自分に何ができるのかを見つけること、
つまり、それは、人にとってどう生きるかという
「あり方」です。
私たち「先生」に一番必要な資質・能力は何かと問われたら、
私は、「待つこと」だと答えます。
子どもの成長を願い、自分から動き出すまで待つ。
伴走するのが私たちの仕事です。
たった一度の授業で人生観が変わることがある。
人の生き方に影響を及ぼすことがある。
そういう使命感をもって授業に「挑む」先生という仕事は尊敬に値すると私は思います。
子どもたちも、先生の思いを肌で感じているのを感じます。
素直な「緑っこ」を見ていると、
(先生は、自分たちのためにがんばっているから、話をきいてあげよう)
という感情をもって、大人につきあってくれているように思うのです。
(例えば、挨拶のとき「こんにちは」ではなく、本当は「こんちくわ」と言いたい遊び心をもっているとか・・・)
また、これまで出会った保護者の方から、
(家ではいうことを聞かないけど、先生のことは聞くんです)
という話を伺うことがよくありました。
つまり、子どもが学校でみせる姿と、家でみせる姿は違うということに気づき、
子どもが頑張っている姿を情報交流すること、
保護者の方と話をすることを楽しみにするようになりました。
すると、
(今まで気が付かなかった子どもことがわかってよかったです)
(今での関わり方が間違っていたのかなと思いました)
(子供が自分からやりたいって言ってきました)
という声を伺うことが増えていき、
保護者の方も子どもの変化とともに成長されていく素敵なドラマに出会いました。
人の性格・傾向はすぐには変わりません。
人の「あり方」に関わることですが、人それぞれ感じ方や価値観が違います。
でも、「やり方」は変えられます。
授業も同じです。
世の中が変化し、子どもの実態も変わってきているのに、
これまでのやり方が通用しなくなってきている状況です。
ただ、変化するには時間を要するということを少しだけわかっていただきたいのです。
心配の声をいただけることは、私たちにとって、そして、子どもにとって成長のチャンスであると考えています。
何かご相談したいことがありましたら、ご連絡の上、是非、校長室にお越しください。
私は授業で直接、子供の声を聴くことはできません。
でも、保護者の声に耳を傾けることはできます。
そして、先生の声を聴き、
子供にとって心地よい環境をどうやってつくったらよいかを考えることはできます。
昔、レゴブロックで遊んだときのように、
一人一人が自分にできることを一つ一つ積み上げて、
素敵な学校が創れたらいいなと心から願っています。
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