春先に子どもたちが植えた植物がすくすくと成長しています。
時期は終わりに近づいていますがイチゴの実がなっていました。
ふと気が付くと、ピーマンの実、ジャガイモの花も咲いています。
この植物はどんな意図で栽培されているのか、興味が湧くところです。
植物の観察は理科で扱われますが、一般的な授業では、教科書にある実験・観察の例示に沿って問いが出されます。
それは、ものの見方を育むための例示にすぎません。
自然界には多様な不思議があります。
散策などしていて、ふとしたことから、
「あれ?」という気づきがうまれ、
「なぜだろう?」という疑問から、
「調べてみよう」という願望となり、
実験や観察という学びの過程を辿ります。
こうした一連の過程を授業で追体験しているのです。
朝、登校してきた高学年が、
「アルミホイルをかけた葉っぱ、とってこなきゃ」
と菜園の方へいく様子がみられました。
おそらく、実験の準備のためと思われます。
前日の授業から連続的な学びの中で、発見、観察、気づきを繰り返していることが伺えます。
ジャガイモは高学年の学習で、光合成の仕組みを調べる目的で、葉を光から遮蔽する、ビニールを被せるなどの実験のために意図的に栽培されています。
実験が終わったら遮蔽物などは取り徐き、成長を促進する状態に戻します。
ジャガイモは地下茎が太くなった部分を食用にしますが、サツマイモと比較すること、ナスと比較することで、多様なものの見方が生まれてきます。
「ジャガイモは、実か根か茎か?」
という問いが考えられます。
花が咲くということは実(種)ができるということなので、ジャガイモには実がなる、と予想する子もいるでしょう。
土の中にできるから根だという子もいるでしょう。
そういう意見の相違を生み出す授業から、多様性を認め合う関係性が育まれていくと私は考えています。
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