2024年6月26日水曜日

子どもの目線を知る、感じる~子どもに見えるものと大人に見えないもの

廊下に掲示してある運動会の絵をみると、子どもが何を見ていたのか、何を考えていたのかが何となく伝わってきます。

よさこいを踊ったことや玉入れをしている様子を描いた中に、学校の絵があったり、応援していると思われる人があったり、近くにいた友だちを描いている子もいます。

こうした子どもの発想は、その子が日常的に見ている、感じているものから浮かんでくる場合もあれば、大人の働きかけがきかっけとなって育まれる場合もあります。

例えば、人物の描く際、輪郭線を鉛筆で書くときと、クレヨンで描くときでは、人物の動きの表現が違ってきます。

鉛筆だと、初めに描いた線がイメージと違ったときには、消しゴムを使うことで書き直しができます。
クレヨンだと、直しがきかない分、ふんぎりをつけて線を描くことができます。
鉛筆やクレヨンのどちらが良いとかいうことではなく、
それぞれの良さがあり、それをどう生かすかという着眼点が大切だと思います。


幼少期の子どもは、自分が感じたことを素直に表現できる力があります。
特徴的な傾向は、自分、太陽、地面を描くことです。
この視点でみると、大人が働きかけたところで、そういう傾向はなくならないということが伝わってきます。
幼少期の子どもは、自己中心的です。興味のあるものに引き寄せられ、感動しながら生きています。
「〇〇虫がいた!」「さなぎが葉っぱについてる!」「だんごむしが丸まってたよ!」
のように、なんのためらいもなく、見たもの、気がついたことを伝えにきてくれます。
そういう感性を大切にしつつ、子どもの発想を豊かにする関わりを大人ができたらよいのですが、これはかなり忍耐を要します。
大人は時間に追われ、必要に迫られ、余裕をなくしてしまいがちですから。

今日の午後は特別支援教育に関する研修(講演)を行いました。講師の先生から、ハッとする言葉をいただきました。

それは、
「親が携帯見過ぎ問題」
というキーワードでした。

その続きに、刺激の強い動画や情報にさらされている今の状況が、子供の成長を阻害する要因になっているという話でした。


子どもが話しかけてきたときに、「ふーん」とスマホをみながら上の空・・・なんてことはないでしょうか。

子どもが「ダンゴムシがいたよ」と言ってきたときに、何と応えますか?
例えば、「そう!みつけたんだ!」「どこにいたの?」「何色だった?」「大きさは?」
などと、びっくりするだけで、子どもはニコニコして話を続けてくれることでしょう。
(内心、いつ終わるのかなあと思っても、可能な範囲で我慢して聞いてあげてほしいのです。)



こういう絵を描くことができたのは、よさこいを踊って、玉入れをして楽しかったという体験をしたからです。

「見る、感じる、考える」という時間のかかるプロセスが、成長につながっていきます。


残念ながら、電車やバスの中で子どもを連れている大人がスマホをずっとみているという光景は今や珍しくありません。

子どものことを大切に思うなら、スマホの画面ではなく、
子どもが、今、見ているものを、見えている大人でいてほしいと思いました。

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。